ムーがゆく

わが身が、ゆるゆると世に漂うさまを書いていゆきます。

花見と私

今年はお花見に行けるかなぁと、うかうかしているうちに満開になってしまい、けっきょく名所は諦め、近所の山の中に1本だけ立っている桜でお花見をした私。今回は何年か前に遠くまで足を伸ばしたお花見の話です。

むかうは長野県は高遠城址公園。前にも一度行ったことがあるのですが、公園全体が花のドームで覆われているかのような、あの豪奢な空間で花粉症で湿気った脳を日干ししたいです。

  前回は何も知らずに普通に車で訪れてしまい、うららかな初春の空の下、心ゆくまで大渋滞を堪能してしまったので、今回は夜中に出発して車中泊をし、開園する朝の6時には入り口に並んでいてやろうと思い立ちました。金曜日の夜10時ごろに岐阜を出発。ひたすら高速道路を走り、日付も変わった午前3時、ひっそりと静まりかえった高遠公園の入口に腕組みをして立つ私。予定では近くの駒ケ岳SAあたりでラーメンなど食べてから車中泊するつもりだったのですが、構内に停まっている大型トラックの かけっぱなしエンジンの音がうるさくて眠れず離脱。こうなれば一番乗り目指して現地まで行くのみです。が、いくらなんでも早すぎたようです。いっそこのまま朝まで待っていようかとも思いましたが、公園周辺はかなり広い範囲で駐車禁止になっており 車を停めておくことができす、やむなく出直すことに。公園周辺から追いやられた私がようやく見つけたねぐらは  遠く離れた寂しい山道。愛用の枕に倒れ込むように横になったものの、あと何時間眠れるのか? 案の定、寝たと思ったらすぐに目覚ましタイマーに叩き起こされ、不機嫌きわまりない顔で公園に向かいました。あきらかに出発前より不健康になっている気がします。

   うつろに入口の木戸を眺めながらたたずむ私。眠い…。早朝にもかかわらず、かなり大勢の花見客が開園を待っています。一番前に並んでいる家族のお子さんは先頭に並んでいるのが嬉しいらしく、「これなら絶対いい場所取れるね。がんばって一番に来てよかったね!」と話していました。もうどうでもいいけれど、一番にここへ来た大馬鹿者は私です。

天気はあいにくの曇り空。風流げに『花曇り』なんて言葉もありますが、そんなものは負け惜しみ。そのうえ城跡から見下ろす高遠の町は満開も近い桜が咲き乱れているにもかかわらず、なぜかこの公園だけまったく花が咲いていません。三分咲きほどのつぼみを呆然と見上げながら、何がどうなっているのかまったくわからない私。冷たい風に吹かれ、日本アルプスの真っ白な峰を見つめながら食べた花見だんごは鼻が詰まって味がわかりませんでした。他の花見客さんたちも、言葉少なげに桜花ではなく雪山の写真を撮っています。

ろくに開花情報も調べないまま飛び出すという初歩的なミスで また大失敗してしまったあの年のお花見。毎年の花粉ボケを何とかしないと、また何かやらかしてしまいそうで不安な春です。

 

ゲレンデと私

   まだまだ雪がちらついたりして寒いですね。世間もウインタースポーツのシーズンですが、ボードやスキーが好きー♥、なわけでもない私は白銀の雪山に出かけたりすることはありません。

   好きなウインタースポーツは雪合戦という私が初めて本格的なスキーに行ったのは、学校の授業の一環としてスキー合宿をした時です。バスの中で騒いで眠れず、ほとんど徹夜状態でゲレンデに出ました。私はアイススケートはできるので、スキー板なんか靴が少し長くなったくらいだろうとタカをくくっていたのですが、スキー部の人達から一応のレクチャーは受けておきました。ボーゲンさえできれば何とかなるでしょう。

同じくゲレンデは初めてという友人2人とリフトに乗って山頂へ。ただただ白い景色に見とれていましたが、終点が近くなった地点でよく考えると3人ともリフトの降り方を知りません。降りる時に停まってくれないことに今さら気づき、焦った我々はスキー板をもつれさせて あえなく転倒。けたたましい警報とともにリフトが緊急停止しました。

起きあがろうともがいていましたが ひっくり返った亀の子状態。なんとか板を外そうとじたばたしている3人組に、後ろで詰まっている人達の失笑が聞こえてきます。

ようやく山頂に着きましたが、友人の目は虚ろ。すっかり心に傷を負ってしまった私も へっぴり腰のボーゲンしかできません。小学生くらいのちびっ子達に華麗に抜き去られ、他のスキーヤーさん達の進路を妨害しながら、何度も何度も転んで雪まみれになって麓まで転がってきた我々。もうボロボロです。

いきなり普通のコースに出るのは無謀、という結論に至り、傾斜の緩やかな『キッズコース』という所に行きました。しばらくそこで滑っていましたが、係員さんに「10歳以上の方は入らないでください」と言われて追い出されてしまい、もうリフトに乗る勇気のない我々は やむなく徒歩で山の中腹まで登っては転がってくる、ということを繰り返しました。

    日が暮れる頃にはそこそこ滑れるようになっていましたが、充分にスキーを堪能した我々は翌日はもうゲレンデには出ず、かまくらや雪だるまを作って過ごしました。いちおう昨日一日はスキー板を履いてはいたので単位はもらえるでしょう。

せっかくの機会にあまりよい思い出を作ることができず、すっかりゲレンデ嫌いになってしまった私。今年も春まで こたつでぬくぬく過ごしています⛄

 

病室の私

 おととしの事ですが、生まれて初めて入院をしました。

情けない話ですが、年に一度の健康診断にて再検査を言い渡され、検査結果表には今まで見たことのない太字で『要、再検査』と書かれているのを目の当たりにした私は不安で卒倒しそうになり、慄きながら病院に向かいました。

検査の結果、大腸内で出血しているため後日に内視鏡による精密検査をすることとなった私は、当日の朝に服用する下剤を握りしめながら帰宅。不安な日々でしたが、こうなれば医者に言われるままにするだけだと開き直って当日を待ちました。

詳しい話はアレなので省きますが、大腸内にポリープが見つかり、医師から切っておいたほうがいいと言われました。そりゃ取ってもらったほうがいいやと思っていると「切るとこのまま入院になりますがいいですか?」と念を押されて狼狽しました。放っておくと悪性のものになったりするかもと脅しておきながら良いも悪いもない気がしますが、入院というと何やらと?でもない事態になったようで少なからずビビります。しかし早めに対処しておくに越したことはありません。そのまま切ってもらいました。

そのまま病院の3階まで連れていかれ、ベッドに横になるように指示された後、今から採血と点滴をおこない 退院まで絶食だと言い渡されました。私は検査の帰りに打ち上げとしてお気に入りのラーメン屋で味噌ラーメンにネギを大森で食べる予定だったのに、なぜこうなってしまったのか?  私の車の中には簡単なお泊りグッズや着替えもあるのですが、それを取りに行く前に腕に針が刺され、止血剤を投与されました。

お腹には痛みも何もなく全然平気そうだったので帰ると言ってみましたが、「難しい」と言われただけで とりあってもらえませんでした。

明日の朝に検査をして出血などをしていなければ帰れるとのこと。どのような検査を課せられるのか、不安なまま暇な一夜を過ごしました。あまり眠れず、深夜に冷えきったロビーをウロウロしているうちに夜は明け、いよいよ検査の時間になりました。まずは採血をした後、内科の先生が現れました。ここで引っかかってしまうと また1日入院になってしまうと思うと、否が応にも緊張してきます。どんな検査が来るかと身構える私に、先生が「血便が出たりお腹が痛いことはないか」と訊いてきました。まずは質問攻めです。慎重に 大丈夫ですとハッキリ答えた私に、「では触診しますね」と手のひらでお腹のあちこちを押してきましたが、かなり強めに押しているような気がします。思わずグエッと言いかけましたが我慢。それを知ってか知らずか、「昨日切ったあたりは痛くないですか?」と訊いてきたので、別の意味で痛いですと言いかけて慌てて口をつぐむ私。「痛い」という単語を発した途端に不合格になるのではないかと思い、ひたすら無表情を装いました。抜群の演技力により、めでたく退院となった私。しばらくはおかゆなどの消化のいいものを摂るようにと指導を受けて解放。退院前に昼食を出していただけるそうで、何か特別食みたいなものかと思えば牛丼でした。これは消化にいいのか? 

たまたま銀行でおろしていた家賃で急だった入院費も支払えましたが、今回は入院が実に大変なものだとわかり、健康には気をつけようと誓った初秋でした。

白球と私 ②

 聖地・甲子園の応援席で、いつまでも降りやまぬ雨に打たれ続ける黒ダルマの私。

雨天順延になってしまった場合、出直すのも馬鹿馬鹿しいのですが、お泊りするようなお金も持っていません。久しぶりに野宿をすることになりかねず、困惑する私。黒ビニールの次はダンボールに包まれる自分の未来を思うと、憂鬱になってきました。

 そんな私のせつない願いが通じたのか、少しづつ雨足が弱くなってきた気がします。これなら試合ができるかもしれません。ドキドキしながら空を見ていると、後ろの席に座っていた家族連れの黒ダルマのうち、小さな女の子が「てるてる坊主を逆さまに吊るすとね、雨が降るんやよ」と言って、かわいらしい声で『降れ降れ坊主』と題した悪魔のような唄を歌い、雨乞いの儀式を始めました。やめてください・・・。なんか妙に焦ってきます。情緒を乱した私が酒に逃げている間に、グラウンドに係員の方たちが出てきて整備を始めました。せっせと一輪車で土を運んできては水たまりを埋めていくその姿を応援しているうちに整備は完了。満場の拍手の中、2時間半遅れで試合が再開されました。

 だんだんと青空の輝きが戻ってきた甲子園。本命の第2試合が始まったのはお昼過ぎでした。あつい・・・。空いていた席で日陰になりそうな席を選んだつもりでしたが、目測が狂ったようで、ほんの2列違いでまぶしい真夏の太陽に晒される私。頭上で張りきっている太陽だけでなく、足元のコンクリートからの反射も半端ではありません。ダブルボイル製法により、ジリジリと炙られる私。グラウンドの選手たちより過酷な環境になっている気がします。丸めて座布団にしていた例の黒ビニールも色が色だけに輻射で熱を持ってしまい、熱くてなりません。まるで鉄板のようです。急いで尻の下からはずしましたが、あの切ない雨の時間をともに過ごしたこの袋、妙な愛着が湧いてしまい、捨てることはできませんでした。頭に乗せていたかちわり氷も儚く溶けてしまい、冗談抜きで熱中症でひっくり返りそうです。うつろな目で『降れ降れ坊主』の唄をつぶやく私。周りの観客からも、応援の声に混じって絶えることのないうめき声が聞こえてきます。みんなギリギリです。ひっきりなしに場外から救急車のサイレンが聞こえるのは幻聴でしょうか?

 肝心の試合の方も、劣勢ながらなんとか踏んばっていた岡山県代表校でしたが、試合中盤にポロっとエラーをしてしまい、そこから大量失点。もう勝つのは無理そうです。試合の大勢は決まってしまいましたが、それでも最後まで全力でプレーしているその姿が、ただただ爽やかでした。

 第4試合まで観戦してから、清々しい気分とビニール袋を胸にすっかり暗くなった球場を後にする私。お土産も買い漁ってから後ろ髪を引かれる思いで電車に乗りました。やっぱり来てよかったです。いろいろな意味で熱い思い出ができましたが、やはり夏の大会は横着せずに帽子を被っていこうと思いました。

 

 

白球と私 その①

 今年は疫病の影響で、春の選抜高校野球大会が中止になってしまいました。私も大変大変楽しみにしており、前売り券も買っていたのにあえなく無効に。球児たちがかわいそうですが、私もしょんぼり。先日コンビニで夢を払い戻ししてきました。凹んでばかりもいられませんので、何年か前の夏の甲子園の思い出でも書いてみます。

 とある夏の朝、午前5時。ひとり駅のホームにたたずむ私。近年の節電やらなんやらで第一試合の開始が午前8時になってしまったので、遠方から赴く私たちにはラジオ体操なみに辛いところです。岐阜からではこれでもギリギリですが、ずっと楽しみにしていたので素晴らしい試合を観て心をうたれ、感動の涙を流したいものです。電車でうたた寝をしながら、いざ出発。

 阪神甲子園口で下車した私は全力疾走でゲートへ。チケットを出した時に試合開始のサイレンが鳴りました。座席は早い者勝ちなので急いで中に入ります。いい席はだいたい埋まっていたので、仕方なくスタンドの上の方に着席。この日の試合には私が甘酢っぺー大学生活を送った岡山県の代表校が勝ち残っていましたが、天気予報は『曇のち雨』だったのでちょっと心配。なんとなく薄暗くなってきた空。気のせいだと自分に言い聞かせていましたが、試合が始まって30分もしないうちに、ぽつりぽつりと雨が降ってきました。前日まで連日の晴天だったのに、私が来た日に限ってピンポイントで雨とはどういうことなのでしょう。突然のゲリラ豪雨で選手も避難してしまったグラウンドを眺めながら、断じてこのような事態を認められなかった私は意地になって席に座っていましたが、背もたれから伝った雨水で尻が濡れてしまい、あわてて通路に避難しました。

しばらく様子を見ていましたが、球児たちの聖地はもはや泥沼と化しています。もし明日に順延になってしまったら今夜はこっちでお泊りか、出直すハメになってしまいます。やるせなさで胸がいっぱいになりましたが、腹は減っていたのでで通路で甲子園カレーをヤケ食い。どうしてこうなってしまったのかと少し泣けてきました。

1時間ほど経ってもまだ雨は降りやまず、すっかりイジケてしまった私。もう梅田あたりで買い物でもして帰ろうかと思いましたが、それでは感動の涙を流すどころか尻を雨で濡らしただけで終わってしまいます。再開を信じて今のうちにいい席を確保しておくことにしました。このままスタンドに出てもまた尻が濡れるのは確実なので、売店にてカッパを購入。「KOUSIEN」とロゴが書かれた黒いビニール袋はスモックのようにかぶって頭だけ出せるようになっていました。なんだかゴミ袋に詰め込まれたような気分です。そのままのダルマ状態で座席の上に乗っかっていましたが、容赦のない横殴りの雨と風で転がってしまいそうです。

 袋の口から顔だけ出し、虚ろな瞳で水没したグラウンドを見つめる私。もうダメかも・・・ ただ雨に打たれるだけのゴミ袋と化した私は、もう捨て鉢気分で今夜の宿泊計画をたてていました。せっかく無理して来たのになぁ。どうなる、私?

                                  つづく

 

 

                            

レム睡眠

 ここ何年か、枕選びに凝っています。

いつも眠そうな顔をしていると言われる私。もともと寝つきが悪く、眠りも浅いうえに夜中の落雷や地震の直前にふと目が覚めてしまうナマズ体質なので、安眠するためには日頃から寝具にこだわるなどの努力が欠かせません。朝、顔を洗うたびに鏡に写る目の下のクマを見てはため息をつく毎日。わりと切実です。

せめて寝具はいいものを揃えようと、マットレスはギザギザの低反発マット、掛け布団は生協で買ってきた羽毛布団です。さらに眠る前にもくもくとアロマを焚いたり、何かに祈ったりもしていましたが、一番深く研究してきたのは枕です。

一番最初に買ったのは、かの『テンピュール』の低反発まくら。何年か前に友人の家で自慢げに見せびらかされ、その触り心地に嫉妬した私は次の日曜日に街に買いに走りました。しかし2万円ほどもすることを知って動揺してしまい、店員さんに捕まる前に逃げ出しました。しかしどうしてもあの手触りが忘れられず、悩んだ末に思い切って買ってしまいました。最初の頃は素晴らしい効果で私を夢の国にいざなってくれたのですが、だんだん慣れてきたせいか、はたまた3~4年もするとペタンコに潰れてしまったせいか、あまり効果がなくなってきたので、次なる夢の使者を探さなくてななりません。

そんなある日、『ローゼンピロー』なる枕と出会いました。「バラの香りが貴女を深い眠りに誘う」などという妖しい謳い文句にうっとりした私は、このエレガントな枕がなんとしても欲しくなってしまったのですが、バラ柄のレースふりふりの、見るからに女性的なデザインがなんとも買いづらく、ここでも散々悩んだ結果、ついにプレゼント用だと偽りラッピングまでしてもらって購入。こそこそと家に帰り、さっそくアロマパックを枕の中に入れてバラのレースに顔を埋め、うっとりと目を閉じました。しかしどうにも香りがキツく、我慢してるうちにだんだん鼻が痛くなってきたのでとても眠ってはおられず、放り投げた挙句に週末には不燃ゴミに。枕の代金4980円とプレゼント用のリボン代をまるまる無駄にしてしまいました。

そうこうしているうちに枕コレクションは10個近くなり置き場所にも困ってきたため、あまり「効かなかった」ものから処分することにしましたが、悩むのが低反発枕などの中身。燃えるのか不燃物なのかリサイクルできるのかわからなかったので、いまだに処分できず、低反発座ぶとんに格下げされて尻にひかれたりしています。

今はバスタオルを四つ折りにしたものが一番具合がよいのですが、これはタダ同然。いったい今までの出費は何だったのかと悩んだりもしますが、先日も街角で「塩まくら」なるものを見つけてしまい、しばし見つめあう私。また悪いクセがでそうです。